インフル・パンデミックの恐怖

新型(しんがた)インフルエンザによるパンデミックをインフルエンザ・パンデミック、またはインフル・パンデミックと呼び(よび)ますが、このインフル・パンデミックの真(しん)の恐怖(きょうふ)を知っ(しっ)ている人は(ひとは)、今の(いまの)日本(にっぽん)にはほとんどいないのではないでしょうか。というのも、どれだけ警戒(けいかい)しても、どれだけ知識(ちしき)を持っ(もっ)ていても、身近(みぢか)なものとして経験(けいけん)しない事(こと)には中々(なかなか)実感(じっかん)として持つ(もつ)事(こと)ができないからです。例えば(たとえば)、よく戦争(せんそう)反対(はんたい)という声(こえ)が世界(せかい)各地(かくち)で挙がっ(あがっ)ています。これは当然(とうぜん)の思想(しそう)ですよね。しかし、その中(そのなか)で、本当(ほんとう)の意味(いみ)で戦争(せんそう)をなくしたい、戦争(せんそう)は駄目(だめ)だという事(こと)の根本的(こんぽんてき)、あるいは原則的(げんそくてき)な理由(りゆう)を言え(いえ)る人(ひと)がどれだけいるでしょうか。単に(たんに)殺し合い(ころしあい)はダメだ、弱い(よわい)者(もの)を蹂躙(じゅうりん)し領土(りょうど)や金品(きんぴん)を奪う(うばう)のは野蛮(やばん)だ、争い(あらそい)は何も(なにも)生ま(うま)ないなどのありふれた言葉(ことば)を並べ(ならべ)たところで、その言葉(ことば)面(めん)だけで実際(じっさい)は何も(なにも)理解(りかい)していないとなれば、そこには大した(たいした)意味(いみ)は生まれ(うまれ)ません。実際(じっさい)に戦争(せんそう)を体験(たいけん)し、それがいかに醜く(みにくく)て恐ろしい(おそろしい)ものかを知っ(しっ)ている人(ひと)でなければ、その訴え(うったえ)は実に(じつに)軽く(かるく)、そしてうすいものに聞こえ(きこえ)てしまいます。広島(ひろしま)や長崎(ながさき)といった、原爆(げんばく)を投(とう)下され(くだされ)た人々(ひとびと)の訴え(うったえ)には、それがあります。例え(たとえ)実際(じっさい)に原爆(げんばく)投下(とうか)を体験(たいけん)していない若い(わかい)世代(せだい)であっても、子供(こども)の頃(ころ)から両親(りょうしん)や祖父(そふ)、祖母(そぼ)からその話(はなし)を聞い(きい)ている人たち(ひとたち)は、その痛み(いたみ)をリアルに感じ取っ(かんじとっ)ているでしょう。同じ(おなじ)事(こと)が、インフル・パンデミックにもいえます。本当(ほんとう)の恐怖(きょうふ)は、実際(じっさい)に経験(けいけん)した人(ひと)にしかわからないでしょう。よって、今の(いまの)日本(にっぽん)では、危機感(ききかん)を抱こ(いだこ)うとどれだけ訴え(うったえ)ても、その言葉(ことば)に重み(おもみ)を感じる(かんじる)ことは難しく(むずかしく)、その思想(しそう)を普及(ふきゅう)させるのは困難(こんなん)といえます。これらの問題(もんだい)こそが、パンデミック最大(さいだい)の恐怖(きょうふ)といえるかもしれません。スリーセブン

パンデミック

新型インフルエンザによるパンデミックをインフルエンザ・パンデミック、またはインフル・パンデミックと呼びますが、このインフル・パンデミックの真の恐怖を知っている人は、今の日本にはほとんどいないのではないでしょうか。

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